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2008年11月の投稿

松の木

先日大阪の会員さんたちと広島教室にて合同稽古会をするために、9名の会員さんと広島観光もかねて行って来ました。

早朝の電車に乗り込みワイワイガヤガヤ賑やかなことはいつものことであります。広島駅で乗り換えて呉市に着き、そこから約20分フェリーで、目的の江田島に到着、港からバスに乗り着いたのは術科学校です。

江田島海上自衛隊術科学校と言うらしいのですが、皆様の記憶に新しいのは先ごろ15人対1人の格闘訓練を行って一人の青年が死亡した事故(事件?)のあったところです。

自衛隊のOBらしき人が施設内を面白おかしく冗談を交えながら案内してくれます。案内人の冗談と違って施設内に陳列されてある戦争遺品はとても重たいものが感じられます。

訓練生が毎朝集合して朝礼をすると言う広場の周囲には防風林の松の木がたくさん植えられております。何故かここの松は杉の木のように真っ直ぐ伸びている、反対側の松は世間に良くある松と同じで幹が曲がっているのがほとんどであるが、この場所の松は真っ直ぐに伸びるそうです。

毎日この広場で朝礼や訓練で教官が『きをつけ~』と大きな声で号令をかけるので松も(気をつけ)に姿勢になるというのが原因だといいます。

この話も冗談と思えばそう思えるのですが、氣康をやっている私たちは内心本当かも知れないと感じているのです。

身体の骨も『真っ直ぐなれ』と命令すれば伸びる事があるのですから、松にも意識があり真っ直ぐ伸びているのかも知れません。

皆様も機会があれば江田島の真っ直ぐ伸びた不思議な松を見に行ってみてはどうでしょうか。

見学は無料でした。無料は大好きです。素直な心も大好きです。

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公平な平等

福沢諭吉という人は【学問のすすめ】を著した、その文頭に(天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、されば天より人を生ずるには、萬人が萬人皆同じ位にして貴賎上下の差別無く、萬物の霊たる身と心の働きを持って互いに人の妨げを為さずして各々安楽にこの世を渡らしめ給うものの趣意り・・・・・)私はこの文章が好きで中学生のころに一生懸命暗記したものです。

これは明治時代にj書かれた文章ですが、現代でも充分通用する内容だと思うのです。学問のすすめが著されてから100年も経ったであろう現代の社会で、福沢諭吉の教えの一片も生かすことが出来ていない事は残念であります。

民主主義、平等、公平が叫ばれながら所得格差、教育格差、医療格差あらゆる場面で格差は広がっております。

子供たちの教育も家庭が裕福なれば能力次第で医者でも弁護士にでもなれる。貧乏人は本人の能力があっても医学部など進学することが出来ないのです。裕福か貧乏かは子供に責任の無い事情であるのもかかわらず、裕福な子供と同じ選択をすることが出来ないのです。

老人医療も格差が大きい、介護施設も無いような山間地に住まいして介護サービスを受けることが不可能な人も介護保険は徴収される。

民主主義は競争の原理に基ずくという人もいるようですが公平な平等では無いと思うのです。せめて子供や老人には公平な平等を受けられる社会でありたい。日本に頭の良い政治家は不在なのでしょうか?

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残尿感&残糞感

駅の公衆トイレに行くと、すでに用を足していた人がいます。後から入って私が用を済ませ手を洗って出てくる時にまだ終わらず便器の前で排尿をしていることがよくあります。中高年になると排尿障害が起きる、出ない、遅い、近い、勢いが無いなど若いときには考えられないほど機能が衰えてくる。

病院に行けば加齢の一言で片付けられるのがオチである。いつも残尿感があり、すっきりしないのです。こうした残尿感は高齢になってから起きる症状でよく話題になりますが、残糞感はなぜ問題にならないのでしょうか。

排尿も排便も身体に不要なものを排泄する大切な生理作用ですが、残糞は残尿以上に若者から高齢者までたくさんの人が抱えている悩みです。

排便の後、腸内が空っぽになったと思えるようなすっきりとした気持ちになることが大切なのです。不要な便を体内に留める事はトラブルの原因にもなります。

年齢に関係なく飲食や運動を心がけることで排尿、排便機能を向上させることは可能であります。薬に頼る前に自分のするべきことをしなければ予防も改善も望むことは出来ません。

毎日が爽やかであるためには、体幹部を緩めてくださるとよいでしょう。

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